*お願いです。
フォントは「中」にてお読みいただけると、読みやすいと思われます。
「しんのすけ」は本当に良く頑張りました。私達にとって最高の息子でした。
そんな「しんのすけ」を褒めてあげて下さい。 飼い主バカだよって笑って頂いても
結構ですから、この場だけは褒めてあげて下さい!
我々二人と一匹が 落ち着くまで、どの位かかるかわかりませんが、「しんのすけ」
「しんのすけ、もういいかなぁ」って言える頃まで頑張ってこのページは残して
おこうと思っております。
ですから、みなさんもたまに思い出したら、覗いてやってみてください!
もしかしたら、「しんのすけ」に会えるかもしれません。
長い間、ありがとう御座いました。
二人と一匹八脚闘病日誌
二人と一匹八脚闘病日誌 Part2
しんのすけ」への送る言葉は、こちらへ
しんのすけ」のホームページは、こちらへ
みなさん 本当に沢山のみなさん! ありがとうございました!
沢山の温ったかな言葉を頂きまして、ホント嬉しかった!
ありがとうございました!
沢山のお花を頂き、まるで「お花屋さん」になったみたい・・・
私は「しんのすけ」のおとぉーちゃんです。
彼、「しんのすけ」を沢山の人達が、好いていてくれました。
「しんのすけ」の事を沢山の人達が見ていてくれていました。
大変嬉しいことです。
今後のこともあり、少しづつ考え始めなくてはと・・・
まず、ご報告からさせて頂きたいと思います。
「しんのすけ」は、以前から「四肢関節炎」との診断を請けておりました。
また、私の勝手な気持ち(自然を尊重したい)により、しんのすけは
去勢をしておりませんでした。これが後になって災いとなるなんて・・・
今回、2月の始めの頃からの事です。
以前から「しんのすけ」は「恵比寿ガーデンプレイス」って言うところが
大好きで、「お散歩だよぉ〜」って言うと、もう、そこしかないよぉ!
っていうくらいでした。 「恵比寿ガーデンプレイス」って言うところは
決して近いって事はありませんでした。 片道、2〜30分かけて
その前に近所の公園に寄ってからですから、ゆうに30分以上はかけて
行ってたと思います。 しかし、そんな事は全く苦にもせずに、
彼は毎日でも行こうとしておりました。 実際、一日に一度は
行っておりました。 それほど好きだった場所に、パタリと行かなく
なり始め、少し近場の公園のはしごになって来ました。
正直、この時点では近場になってほっとしたのも事実でした。
しかし、家にいるときに横になっているのですが、起き上がる時
少しづつですが、何か億劫そうに起き上がるようになって
まいりました。 そのうち、左後ろ足がうまく曲らないかとでも
いうよぉに、足を伸ばしたまま引きずる事が多くなって来ました。
階段(我が家は土地が狭い為やむを得ず)が急で、しんのすけの
上り下りには、少し負担をかけておりました。
この頃から、階段の上、下において「くぅ〜ん」と情けない声を
あげるよぉになってまいりました。 それまでにも、何度か
階段の途中から転がり落ちそうになった事もありましたので
それ以来、階段はみんなで彼を抱えて上り下りするようになって
まいりました。 いよいよ関節炎の症状が厳しくなってきたのかなぁ
と思いながら、2月22日の日曜日に、かかりつけの病院へ
診察に行きました。
やはり、関節炎の疑いがあるので、検査とともにレントゲンを
撮りますとの事・・・ レントゲンを撮るって事は、麻酔をかけて
動けなくして撮るわけです。 体調の悪い高齢のしんのすけにとって
は、いささかきつい内容のようでした。 「22日の夕方5時くらいに
迎えに来てください」とのドクターの話でした。
私達は医師の指示通りに5時くらいに迎えに行きました。
それから、暫く待たされて出てきた「しんのすけ」はまだ、眠りの中から
覚めてはいないようなグダァーとなった状態でした。 ドクターは、
「まだ、麻酔から冷め切ってはいないようです」との返事でした。
検査やレントゲンの画像から判断できる事は、一つには、やはり
関節炎の兆候も以前より少し進行しています。それから、「気になる点は
この下腹部の影です。これは前立腺肥大、もしくは最悪前立腺ガンの疑い
があります。1ヶ月以内に去勢手術をすれば少しづつ小さくなるでしょう」
との診断まででした。
とりあえず、「しんのすけ」を抱えて車に乗せ、自宅へ帰ってきましたが
やはりグダーっとしたままです。そのまま、彼の寝床であります3階の
我々の部屋へと抱え上げ彼のお気に入りの布団に横たわせ、「今日は
ゆっくりお休み」って言いながら、目が覚めた時の元気さを期待しながら
一夜を明かしました。
23日(月)は、ほぼ1日中、寝ているのか、起きられないのか、
横になったままでした。 夜になっても一向に起き上がってこない
しんのすけを見て、ちょっと異常だよって感じ始めました。
そのまま、しんのすけを車に乗せ、何時もだったらワンワン、
ギャウギャウ、もううるさくて耐えられないほど騒ぎまくる
しんのすけ・・・ の筈が、ただ横たわったままでした。
病院に到着。 緊急の夜中の診察。 「まだ、麻酔から覚めきって
ません」 えぇ〜! もう、既に24時間を越えているのに・・・
正直言って麻酔が強すぎたんじゃあないですか! って聞きましたら
「そうかもしれません・・・ そのよぉーですね」 との事!
「じゃあ、もうすぐ覚めるんですよね!」
「そしたら、元気になるんですよね」って聞いたら
「はい、元気になります」って、はっきり答えてくれました。
24日(火)いくらか楽になったのか、上半身を起こして食事も
ほんの少しだけれど、食べてくれるようになりました。
徐々にではありますが、起き上がり歩き回れるまでになりました。
散歩にも、ほんとに近所だけではありましたが、外に出てトイレ
や気分転換のような雰囲気でした。
25日(水)は朝、晩の2回とも近場ではありましたが散歩にも
積極的で、我々の安心感も増して行くかの様にも見えました。
しかし、悪魔は少しづつではありますが着実に「しんのすけ」の
身体を虫食み切っていたようでした。 つまり蝋燭の燃え尽きる
最後の炎のように・・・ 元気を取り戻したかの様に・・・
26日(木) 仕事の最中、ほとんどかかってきた事なんて無かった
自宅からの電話・・・ 「しんちゃんが、痙攣してるよぉ」
「しんちゃんが、冷たくなってくよぉー」と家族のものは
動揺しきっていて、何を言ってるのか解ってない。
「すぐ病院へ連れて行って」と私、
「病院へ電話して往診を頼んで見るから」
病院へ電話・・・
「しんのすけが痙攣を起こして、冷たくなりかけてる」
「車を運転できる人間がいないので、往診に来て欲しい」
すると病院の受付の方の返答は
「今は、ドクターが少ないので、往診は出来ません。タクシー
で連れてこれませんでしょうか?」との返事。
私も少々興奮しておりました。
「痙攣を起こして、冷たくなり始めてるって言うのに、ドクターが
少ないからタクシーで来いてのはどういう事だよぉ」
「ふざけるなぁー 責任者をだせよぉー」
そんなやり取りの2時間後、やっとの思いで自宅に戻りました。
「しんのすけぇー」って叫びながら、2階へ駆け上がりました。
2階の布団がしまってある、押入れの中に「しんのすけ」はいました。
押入れの奥の方で、「おとぉーちゃん! かったるいよぉ〜」
って言ってるように思えました。
「しんちゃん すぐ、病院へ行こーね」
「すぐに楽になるようにしてもらうかんね!」
「あと、少しだけ我慢して、頑張ってね!」
でも、この時ホントのことを言うと
「しんのすけ」はこの押入れ自体から出る事を拒んでいたんです。
普段でしたら、おとぉーちゃんが帰ってきたら3階にいても迎えに
階段を駆け下りてくるほどだった「しんのすけ」が、「おとぉーちゃん」
の呼びかけにも、出て行くのを嫌がったのです。
その時、ふっと嫌な予感がこみ上げました・・・ が、
医者に掛かる事、イコール楽になる。 の安直な図式でいっぱいでした。
ともかく、「しんのすけ」を押入れから引きずり出してタオルに包んで
車に乗せ、病院へ行く途中で電話を要れ準備をしてもらいました。
5分後、病院へ到着。
ドクターが待ち構え、「大変申し訳ありません。今日に限って医者が
少なくて・・・」
「早く、見てやってください」
何時もなら、後のことは考えずに飛び降りる事しか考えられないように
すぐ、実際に飛び降りてしまうくらい嫌がっていた診察台でも
おとなしくしておりました。
上目遣いで、「おとぉーちゃん まだぁー?」
「早く帰ろぉーよぉー」って言わんばかりにすがるような目をして
懇願するって言っても良いような目をしていました。
あの目は一生忘れる事が出来ないでしょう。
ドクターは、「今日は入院をして様子を見る方がいいと思いますよ」
「何かありましたら、連絡いたしますので」との事でした。
私は携帯の番号を伝え、最後まで懇願するような「しんのすけ」の目を
あえて遮るかのように無視していたのかも知れませんでした。
家に着いたのが、夕方の4時を少し回ったところだと思います。
どうしたら良いかも解らずに、もんもんとしておりました。
6時50分くらいだったでしょうか、
それは、地獄への招待連絡のようでした。
「しんのすけクンの呼吸が止まりました! すぐ来てください」
病院のドクターからの電話でした。
全てを放り投げて、車に飛び乗りシャッターの開く速度さえ
もどかしく思えておりました。
5分とかからずに病院には着きました。
停車位置なんか、全く気にせず飛び降り、病院の中へ
「しんのすけは、どうなってるんですかー」大声で叫びながら
すると奥から担当のドクターが出て来て、「こちらへ」と奥へ
そこには「へっ? 冗談だろ」「何、ふざけてるんだよ!」
本気でそう叫びだす寸前でした。
「しんのすけ」の口には強制的に酸素を送り出しているマスクが、
前足と後ろ足には点滴の針とチューブが・・・
頻繁に「強心剤」か何かが注射器によって何本も打たれている。
横向きになった「しんのすけ」の胸の辺りをドクターが両手で
1、2、3、と掛け声をかけながら、そんなに体重をかけたら
「しんのすけ」が壊れちゃうよぉー って言うくらいに力を込めて
心臓マッサージで人工呼吸を行っていました。
思わず「しんのすけ」どうしちゃったんどよぉ〜
「返事をしてくれよぉ〜」 しんのすけは無言でした。
その傍らには不規則な波線を表示しながら、ピコー、ピコーって
音を立てている機械が不気味でした。
ドクターがマッサージを止めるとその機械の波線は横一直線になって
しまいます。つまり、自分で心臓を動かす事が出来ないんです。
するとドクターは、両手にアイロンの小さなヤツを持って
「行きます」と声を掛けながら、そのちいさなアイロンみたいなヤツを
「しんのすけ」の身体に触れさせた瞬間、「しんのすけ」の体が
10センチ位、飛び上がった様にさえ見えました。
いわゆる電気ショックってヤツなんでしょうか・・・
また、1、2、3、と声を掛けながら始まりました。
そんな事をもう何度繰り返していたんでしょう!
ただ、その作業を止めさせるのは私の一言のようでした。
傍らで、担当のドクターが「もう、かれこれ30分は続けてます」
そして「残念ですが状況は変わりません。これ以上続けると
しんのすけクンの身体が壊れちゃいます。」
私は、「解りました。止めて頂いて結構です。」とやっと声にする
事が出来ました。 その一言により「しんのすけ」の死亡が決定
したんです。 心臓マーサージを続けていたドクターは「ふぅー」
とため息をついたように思えたのは、私の勘繰りだったようです。
酸素吸入マスクが外された「しんのすけ」は、ピクリとも動きません
それでは「しんのすけ」クンの身体を綺麗にしますから、
あちらで、お待ち下さいと待合室に戻されました。
2〜30分位経ったように思えました。
「しんのすけ」がダンボールの箱に入って出てきました。
中を覗くと口と目をしっかり閉じて横たわっている「しんのすけ」
がいました。 真っ白なタオルに包まれ、傍らに花束が備えられて
いました。
そのやけに重く感じられたダンボールの箱を車の後部座席に入れて
帰ってまいりました。
家に帰ってくると家族のものが、居間に小さな台を置きコップに
花を生けて、その間には第二回東京コーギーズのオフ会の時、
ワンコのアロマで参加して頂いたharuさんが撮影してくれた
「しんのすけ」の写真が写真たてに入ってました。
その顔は・・・ 笑っていました。
一度、その場所に安置して、「しんのすけ」のおかぁーちゃん
を待っておりました。
「しんのすけ」のおかぁーちゃんは、私が2月の中旬に心臓を患い
その治療費が1回で軽自動車の安いのが買えちゃうくらいかかるので
仕事を始めておりました。その為、遅れて帰宅となってしまった訳です。
おかぁーちゃんは、「しんのすけ」の変わり果てた姿を見た瞬間、
泣き崩れてしまいました。 大声で髪も何もかも振り乱して・・・
30分程なき続けて居たでしょうか、ふと泣き止んであげた顔は
真っ赤に腫れ上がったくしゃくしゃの顔でした。
「今は、思いっきり泣きな!」
「明日は荼毘に伏して、しんのすけが虹の橋を渡って、仲間と
思いっきり走り回る為には、身軽にしてやらないとね」
「だから、この姿を目に焼き付けておこうネ!」って言いながら
二人でワンワン泣き通しました。
泣き疲れた頃、二人で「しんのすけ」をまた、車の後部座席に
乗せて、二人と一匹の思い出の場所を回って来ようという事になり
夜中の「しんのすけ」とのお散歩コースを回って来ました。
特に彼がお気に入りだった「恵比寿ガーデンプレイス」
帰り際に必ず寄っていた恵比寿駅脇の芝生広場、「たこ公園」から
代官山を通って「西郷山公園」。
「しんのすけ」が必ず寄っていた青山骨董通りの「スターバックス
コーヒー」をまわって来ました。
たくさん、たくさんの思い出・・・
ホントにありがとう
私達は一生「しんのすけ」の事は忘れないよ!
くしくも 3月には「しんのすけ」のモデルデビューだったんです。
Dog Fan 4月号 「犬にも出来る3分間クッキング」
Corgi Family 2004年号 「ワンコのアロマ、ダイエットに挑戦」
出来上がったら、真っ先に「しんのすけ」に見せてあげんからネ!